このレポートはニペソツ往復を成し遂げた翌日に新聞に掲載をして欲しいと私に託した報告書です。
  しかし、彼は苫小牧からフェリーで帰宅してしまったため記者の取材を受けれなかった為、新聞掲載は断念しました。





プロスキーヤー新井裕己の単独日帰りニペソツ中央ルンゼ滑降記録



2002
年の12月中頃から1ヶ月間、愛車サンバー号に寝泊まりしながら北海道でスキーバム生活を行った。

前半は国際的に活躍しているプロスキー集団「チームなまら癖-X」の面々と美瑛をベースにパウダー三昧。

富良野岳、黒岳、旭岳。スキー場でも極上のパウダーを味わえた。
年末年始には愛山渓温泉に宿泊し、毎日いろいろな山を滑った。

永山岳、愛別岳、当麻岳。

その後はニセコ・札幌周辺で羊蹄山、ニトヌプリ、チセヌプリ、余市岳、尻別岳などめぼしい山は滑り尽くした。

再び内陸に戻り、三段山を往復1時間45分し、美瑛富士でラッセルし、旭岳・富良野岳でむせこむパウダーを満喫した。

そんな極上な北海道スキーバム生活も後数日。

この期間にいろいろと北海道の山にも詳しくなった。

なまら癖-Xの児玉毅くん曰く「北海道の人はパウダー食うのに忙しくて、急斜面に目がいかない」とのことだが、北海道の山に対する僕の印象は「最高の雪質・短いアプローチ・なるい斜面・短い滑降距離」といったところで、確かに北アルプスのような急斜面はあまり見あたらない。

こんなに罪悪感を感じるほどの極上のパウダーばかりを毎日毎日滑っていたが、やはり何かしらの物足りなさも感じる。それは僕がやはり山屋だからだろうか。

そんな中では、正月に滑った永山岳のルンゼは45度の凍ったナメ滝を滑り、50度を超える狭い尾根を滑り、一瞬だったが、ピリピリとした緊張感は格別のものがあった。

誰も目を付けなかった急斜面の美しい山にオリジナルのラインを引く。

それが自分のスタイルなんだ。北海道のパウダーを滑りまっくて、逆に自分らしさを確認できたような気がする。

そういった意味で、北海道に自分の記念碑的なラインを引きたいという想いが募る。滑れるなんて誰も思わなかったような急斜面の壁がいい。

アプローチの短いところは大体なまら癖-Xに滑られてしまっているだろうから、山深いところだろう。

調べてみると絶好の山があった。

ニペソツ山だ。

東大雪山系の盟主でありながら、冬期はその長いアプローチからほとんど入山者がいないという。その東側は山頂からスッパリと切れ落ち、北海道では数少ないアルパインクライミングの場となるような「壁」である。

写真を一目見て決めた。

この山だ。

なまら癖-Xのトップスキーヤー佐々木大輔くんに聞いてみたところ、3日はかかるとのこと。が、最近の体力の充実ぶりから考えれば、ワンデイも不可能ではないと勝手に確信し、あとは天候次第だろう。

かのモンペねーちゃんはニペソツ山に厳冬期に3回チャレンジし、3回とも悪天候で敗退したというが、あの人の場合は嵐を自分で連れてきているのであまり参考にはならない。逆に、最近の自分の天気のツキは並はずれている。18日の厳冬期羊蹄山無風快晴最上部までパウダー(お鉢滑降ツキ)なんてローカルの人でも経験がないというほどだ。

ということで、天候も良さそうで、また運のいいことに満月という118日にニペソツ山にトライすることにした

前日、児玉くん達と別れ、美瑛から旭川経由で大雪山系をぐるっと半周して登山口をめざす。が、このあたりは民家一つない寂しいところで、危うく林道の入口を見失うところだった。ちょっと行きすぎたところで気づいて慌ててUターン。

と、Uターン時に見事に非圧雪地帯に入り込んでしまい、車がスタックしてしまった。車は傾き、アクセル噴かせどもタイヤはむなしく空転するばかり。

時間は23時。車通りもほとんどないところで、しかも携帯電話も圏外。となれば開き直って見事に傾いた車内でさっさと寝ることにした。よもや歩き出す前に敗退するとは思わなかったが、切り替えの早さには自信があり、さっさと横になる。明日は朝一でヒッチハイクしてJAF呼んで、昼から行動だな。どの山滑るかなあ。ニペソツは来年以降の課題だな。

が、10分くらいした頃、1台の車が止まり、若者3人が引き出すのを手伝ってくれるという。ありがたい。さらにトラックも止まってくれ、5人で持ち上げたり押したりなんだりして、なんとか車道に引き出すことができた。感謝感激。「困ったときはお互い様っスよ」という若者達の姿にニッポンの未来も捨てたもんじゃないなあと一人満月に頷いたのでした。

彼らと別れ、やっと林道入口に到着。まさか除雪はしてないだろうと思っていたが、林道は見事に除雪済みである。が、どこまで除雪されているかわからないし、入口にもロープが張られ、倒木等で通行不能との張り紙もある。さきほどのスタックのこともあり、この林道ではまったら復帰できないなあと思い、国道に車をおいて歩くことにする。どうせ初めっからその予定だったのだから問題なし。

当初3時くらいには歩き出したいと思っていたが、なんだかんだでもう0時。睡眠不足でうまく行った試しがないので4時まで寝て、5時出発ということにする。

4時起床。雲一つない放射冷却の中、満月の明かりに山々は見事に輝いている。が、ここからはニペソツ山は見えない。アプローチ的に山が見えるのはかなり先だ。

今回は夏道を全く無視し、幌加川を詰め、滑降ルートに考えている東壁を正面からチェック、その後登頂・滑降というプランである。滑降可能かどうか、それさえもわからないが、とりあえずスタート。

5時出発。除雪された林道を進む。おそらく幌加ダムまでは除雪されているであろうと思ったが、果たしてその通りで、30分でダムに到着。ここからラッセルである。

大雪山系を超えた十勝側は典型的な冬の太平洋側気候で、冬型のときには晴れ、その分ガンガンに冷え込むという気候である。よって雪は低気圧通過時にドカッと降り、その後の冬型のときは低温であまり雪が変成しないわけだ。予想通り、雪はしまり雪だが、かなり柔らかい状態で、ラッセルに苦労する。最近、旭川周辺の無抵抗な軽い雪のラッセルに慣れていたので余計に辛く感じる。

3の沢林道、滝ノ沢林道とラッセルし続け、4時間で始めてニペソツ山が見える峠に着いた。

初めて見るニペソツ山は、これまで見た北海道の山容とはまるで違い、慣れ親しんだ北アルプスの壁のようだった。鹿島槍と穂高と槍を足して割ったような感じだという人もいる。山頂はピラミッド型に飛び出ており、東大雪の盟主の名にふさわしい堂々とした山容である。

懸案の滑降ルートだが、どうやらそのピラミッドの頂点から直接滑り出せそうなラインが見える。見たところ下まで雪は繋がっている。完璧なライン。文句の付けようがない。モチベーションも鰻登り。
ここで林道は一旦120mほど下る。その後の登りを考えシールは外さず下ったが、滑ればかなり面白いだろう。帰りの登り返しが辛そうだ。

下りきったところの橋で幌加川を渡る。ここから幌加川を詰めるのが東壁までの最短ルートだが、既にインスペクションは充分なので、登りの難易度の低い1736mピークから東に派生する尾根(東尾根)を登ることにする。

登っていて気づいたのは、地図とは違いかなり沢山の林道が派生していることだ。そこら中に切り開きがあり、そこをたどると簡単に登れるのかもしれない。

普段は2時間くらいは休まず歩くのだが、今回は長丁場なので、しっかり1時間ずつ休んで行動食を無理矢理でも食べることにした。当たり前のことだが、行動時間が長いときは重要である。が、水が凍った。気温は氷点下15度以下。懐に水筒を入れてもドンドン凍り、結局300mlくらいしか飲むことはできなかった。明らかな作戦ミス。

脱水症状は運動パフォーマンスに多大な影響を与える。おそらく後半にそのツケがくるだろうが、今できることはなるべく汗をかかないように登ることだけだ。幸い低い気温のおかげでペースはそれほど落とす必要はない。
順調に尾根をラッセルし、1400mくらいで森林限界を出た。
ここからは雪も固くラッセルがないのでペースが上がる。が、逆に風が段々と強くなってきた。

1735mのピークにつく頃には時たま耐風姿勢を必要とされるほどの強風。なかなかハードだ。

ここから主稜線を少しだけシールとスキーアイゼンで進むが、完全に氷化し始めたのでアイゼン・ピッケルに交換する。スキーを担ぐと強風に煽られるため、きつさは倍増するのだが仕方がない。

残り250mの登りは相当厳しかった。西から吹く風はバランスを崩させるほどに強く、岩と氷の混じったミックス壁をシングルアックスで登るのはかなり辛い。尾根の東側は風は吹かないのだが、その分ハイマツとその上にかぶった霜ザラメのせいで、グズグズのラッセルを強いられペースが上がらない。
予定より大幅に遅れ、主稜線に出てから2時間30分かかり、1441分ニペソツ山登頂。

車から10時間近くかかってしまった。強風の主稜線は完全にクライミングの世界で、目出帽をしていても鼻は凍傷になってしまった。さすが厳冬期の大雪山。一筋縄では行かなかった。

山頂はピラミッドのようで狭いのだが、風をよけるためにすぐ東側の斜面に隠れ、準備を行う。とりあえず関係各所に登頂の電話連絡をして、斜面を眺め見る。

山頂からすぐ60度近い壁が凸状に出ており、その直下はよく見えない。そこを降りると広い45度くらいの緩斜面が右に広がり、その斜面はうねるように左カーブしながら段々狭くなり最後は2m幅くらいになる。そこから先はここからは見えない。

遠くから見た感じではそこからズドンと急になって、その下は広い55度くらいの斜面が下まで繋がっているはずだ。まるでアラスカの山のようだ。

全体を通して、鹿島槍のDoze in heavenよりも確実に斜度があるだろう。しかしあの時よりも雪の状態はいい。なにより下が広がっているので、どこで転んでも死にはしなさそうに思える。まあ、転ぶ気はないので、そんなマイナスイメージは考えるべきでもない。無策無謀なわけではなく、一応考えた上で計算済みということは記しておきたいわけで。

最近、自分の中では、見たときに滑れると思ったら、それはもう滑れるものであって、滑り出しの時にはこれといった緊張感はない。あたかも何度も滑ったことがあるかのように滑り出すだけだ。そう、一目見たその瞬間から、ここまで登ってくるまでの間、イメージの中では何度も滑っているのだ。

ドロップイン。始めのワンターンで、山頂直下の凸状がバサッと雪崩落ちた。おかげで見通しはスッキリしたが、気持ちの良いものではない。雪は柔らかく、今落ちた凸状はかなり湿った雪だ。北海道の森林限界以上にはこういうことが多い。上部ほど湿った風のせいで重い。本州ではこんな経験はない。
凸状がなくなったので難なく45度緩斜面に降りる。ここは思う存分滑りを楽しめるところ。素晴らしい高度感と適度な斜面を存分に味わってターンを描く。スラフはどんどんノドのところに落ちていく。

さて、問題のノドだが、その上部10mくらいから見た感じだと、どうやらクリフ状になっていて雪が切れているようだ。やはり片面から見ただけのインスペクションではどうしても死角ができてしまうわけだ。

左右どちらにも逃げ道はない。特に左は完全に切れ落ちた尾根になっていて、その向こう側を見ることもできない。右は尾根を超えた後は岩混じりの斜面が続く。

とりあえず横滑りを交えてクリフの口まで降りてみる。傾斜は60度近いので雪面を掘ってブッシュを掘り出し、それを掴んで覗き込む。

んー、進退窮まった。

登り返すにはツボ足ではムリ、クリフを降りるのも直下はハング気味。右に巻くのも一瞬垂壁のトラバースがある。根性でブッシュ掴みながらアイゼンを履いたとして、登り返しても途中から横に出るラインはないので、山頂まで戻るしかない。ベストはロープで懸垂下降だろうが、今回はロープ持ってきていない。

となれば選択肢は1つ。クリフを飛ぶしかない。

飛ぶのは嫌いじゃないが、ランディングの傾斜と雪質次第になる。

下は岩が薄く見えているがその下は広い雪面が広がっているので、失敗しても死にはしない。が、斜めに飛び出ないとその岩に正面からぶつかるのであんまり気持ちよくはない。

ついでにランディングバーンは55度くらいある。絶対止まらないのは確実。

転けるのは必至として、問題はどこまで流されて、どこまでスキーを拾いに登り返すかだ。

まあ、考えても仕方がない。なぜなら選択肢が他にないのだから。

ヘルメットに命を託し、いざ空へ。

走馬燈は見えなかった。

着地のショック後、しばらく足を下に落ち、やっぱり頭が下になってきて数回転した。雪が口に入ってくる。雪崩れてるなと気づいた。何とか足を下にしようともがく。全ての記憶が鮮明だ。

ともに流されていた雪崩に根性で雪に抵抗し、そして止まった。

すぐさま身体・道具のチェック。板、ストックが1本ずつない。ゴーグルもない、と思ったら首に掛かっていた。手は大丈夫。足は?

左膝がガクガクいっている。靱帯を切っただろうか?

アドレナリンが出て痛みのない間に道具を掻き集めたい。脳内物質がダラダラ出ている身体の興奮状態を冷静に客観視し、それを利用できる自分がいる。大丈夫、完全に自分のコントロール下にある。いたって冷静だ。

板は80m上に刺さっていた。ストックはさらに20m上だ。どうやら着地したところは雪が薄く、その下は岩だったようだ。重要なところでツいてない。

ま、何はともあれ、人間そう簡単には死なないなあということを、またも再確認してしまった。もう何度目の確認かは覚えていない。

ガクガクいう左膝で膝蹴りを繰り返して55度の雪壁をラッセル。アドレナリンを有効に使えている。

かなり時間がかかったが、重い雪だったので効率よくラッセルできた。板のところに荷物を置き、さらにその上のストックを回収する。そこからの荷物のところまでは尻セードだとスピードコントロールできなさそうなので、滑落停止姿勢で降りた。

左膝の靱帯を断裂したかもしれないが、とりあえず腫れてくるまでは動けるはずだ。痛みもない。左右にブレないので滑りもとりあえず問題ないだろう。

さあ、再度滑降だ。55度から段々と傾斜は落ちていくが、ナイスな斜面が長く続く。ふと上を見るとスキーヤーズライトに主稜線から続く素晴らしいルンゼが見えた。滑るだけならこちらがオススメ。山頂から直接このラインを滑りたい人はクリフジャンプか懸垂下降が必要。

膝も問題ないが、ゴーグルが雪まみれで、しかもいつの間にやら吹雪いて視界がないので、裸眼ではほとんど何も見えない。せっかくの斜面がもったいないが、時間もあまりないのでとにかく滑ってしまう。

斜度が落ちるにつれて逆に左右に大きく広がり、好きなように滑れる。左右の両端に沢の落ち込みがあるが、この下も広いので好きなところを滑ろう。とにかくこの沢は広い。樹林の中に入っても適度な斜面が続く。もう少し雪が軽かったら文句の付けようがないんだが。

テントサイトには最高な森を抜けると斜度か極端になくなった。まだ滑ろうと思えば滑れるが、どうせこの先登り返しもあるのでここでシールを付けることにする。あたりは既に真っ暗になっている。満月が出ればいいのだが、あいにく雲がかかっている。

とりあえず登りのトレースまで出られれば後はどんな天候でも問題ないので、とにかくそこまで慎重に。特に水に落ちるのだけは勘弁こうむりたい。GPSと地図を片手にLEDヘッドランプで進む。道具の進歩が見知らぬ山での夜間行動を可能にしている。

沢が広いためどこを通ってもいいのだが、ある程度行くと林道を見つけた。これも地図にはない道だ。が、正式な林道ではないらしく、すぐに途切れたり沢を渡ったりしている。林業用の作業道といった感じか。

途中、左斜面をトラバースしているとき、一部氷化していたようで、谷足がズルッと流された。と、必然、山足である左足に全体重がかかり、膝を深く曲げることになった。

激痛。思わず悲鳴を上げてしまった。この動きが一番膝に負担がかかるようだ。慎重に慎重に。それ以外の動きならば痛みはない。

18時過ぎ。やっと幌加川にかかる橋に出た。ここからはトレースがある。もう行動食を食べても体力が回復しきらない。水が尽きているからだ。

寒いのでそれほど喉は渇かないが、脱水症状が進んでいるようだ。沢の水を飲むべきかとも思うが、エキノコックスが不安だ。そこら中にキタキツネの足跡があるのもよくない。

血糖値不足で手足がしびれたりしながら、1847分、なんとか峠を登り返し終えた。後は下るだけだ。一気に気が弛んだが、それはつかの間の喜びであった。

傾斜が緩く、ほとんど板が滑らない。なんとか斜度のあるところはトレース上で少しだけ滑ることができたが、後はひたすらシールなしで歩く歩く歩く。

こんな時は伸縮式ストックが長く伸びると便利だ。一押しが長い。

立ち止まる時間が長くなるといろいろなものが見えてくる。行きにはなかったキタキツネやエゾジカの足跡がちらほらと顔を出す満月に照らされる。素晴らしい登山・素晴らしい滑降だったが、この段階では完全にうんざりだ。

わずかな登りが一番辛い。シールを付けるべきか。いや、この先にはまだ滑れる下りがあったはず。ビバークしようかな。明日になると膝に血が溜まって腫れるだろう。歩ける内に歩くべきだ。沢の水を。エキノコックス。非常食。まだまだ行ける。

考えるな。足を前に出せ。

20時過ぎに幌加ダム到着。後は除雪路だ。

朝はここまで30分だったが、帰りはもっと時間がかかってしまった。わずかだがアップダウンが多い。しかも除雪路に砂利がまいてあり、滑っていくとエッジから火花が散っている。ソールもギタギタに傷がついているだろうが、もうそれをどうにかしようという気力は失せている。前へ前へ。ただひたすら前へ。

21時、国道に到着した。16時間の長い長い山行が終わった。

ニペソツ山東壁初滑降のようだ。厳冬期ワンデイソロ・オンサイト初滑降。北海道の名山に、ライン的にもスタイル的にも文句の付けようがない、会心の作品を残せた。

あのライン・スタイルならば怪我は決して惜しくはない。棒に振った残りのシーズンはちょっと惜しいけど。

ルート名はこの1ヶ月の北海道の思い出にちなんで、Bum's Lifeとしたい。

後日談。

糠平まで移動してやっと携帯がつながり、各所に連絡。上士幌のコンビニで水分補給。大して喉は渇いていないと思ったのだが、1.5リットルの水分を摂ってもまだまだ飲み足りない。水分はやはり重要である。

膝の怪我は左膝脛骨内顆骨折。奇跡的に靱帯・半月板にはなんの損傷もない。骨は再生するが、靱帯・半月板は再生しない。そういう意味で、非常にラッキー。

シーズン中の復帰も不可能ではないかもしれなくもないかもしれない希望的観測。

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